マスタリングエンジニア 原田光晴のオフィシャルサイトです。

Profile

原田 光晴(はらだ みつはる)1953年3月4日、静岡県生まれ 株式会社バーディハウス所属 マスタリングエンジニア

音楽と音に通じる道

1965年1月のThe Ventures来日ライブ録音「Ventures in Japan」を聞き、強烈なビートサウンドの洗礼を受ける。また当時のジュークボックスが奏でる音から、低音が持つ魅力を強く感じるようになる。
 
1970年、大阪で開催された日本万国博覧会を訪れた際、アメリカ館に設置された最新音響設備が発する「本物の音」に衝撃を受ける。
同時期、当時JBLの代理店であった山水電気株式会社の静岡ショールームで、今もなお語り継がれる銘機、JBL Olympus S508に出逢ったことが、オーディオへの関心をさらに深めるきっかけとなった。
 
新しい音楽が生まれ、音響技術が急速な進化を遂げた1960~70年代、それをリアルタイムで体験・吸収し、音楽への道を志す。

The Ventures「Ventures in Japan」
(LP-7270・LIBERTY/ 東芝音楽工業・1965年)

東芝EMI

東芝EMIに入社、故中村信氏に師事しアナログディスクのカッティングエンジニアとしてキャリアをスタートさせる。1975年のMJQ「Last Concert」国内版のカッティングを手がけ、優秀録音としてスイング・ジャーナル誌などより高い評価を受ける。
 
ドゥービーブラザーズ、荒井由実など洋楽、邦楽を問わず、様々なジャンルのカッティングを手がける傍ら、積極的にオーディオセミナーに参加し、音響理論・ノウハウを吸収していく。

Modern Jazz Quartet「Last Concert」
(P-4517A・ワーナーパイオニア・1975年)

 

スタジオの様子

当時最新の西ドイツ・ノイマン社製カッティングレース 「VMS-80」の前での写真です。
 

カッティング卓はノイマン社製で、EQはノイマン製の他にアメリカAPI社EQを4ch入れてあります。またNTP社製のComp/Limを入れています。 API社EQは、ダウンタウン・ファイティング・ブギ・ウギ・バンド「UNLIMITED」に使いました。

こちらは1976年当時の写真です。白衣を着ています!!  医療のカタログを見て購入した記憶があります。高価な機械,機材やマスターテープを扱うので神聖な気持ちで作業していました。

白い大きな箱が2つの写真はK&HというメーカーのEQです。1箱で1チャンネルの大きなEQですが音は良かったです。EQポイントは始まりと終わりのスイッチがあるのでかなり広い範囲と狭い範囲が作れますが時間はかかりました。
当時はダウンタウンブギウギバンドやアリスのカッティングにも使いました。

CBS/ソニー

1981年3月、ソニーミュージックに移籍。松田聖子、レベッカ、マリーン、カシオペアなど、ソニーミュージック所属アーティストのマスタリング/カッティングを数多く手がける。
 
1983年にはアル・ジャロウ「JARREAU」(P-11321・ワーナーパイオニア)にてスイングジャーナル優秀録音賞を受賞。
 
1989年1月、同社のアナログディスク制作終了に伴い、CDマスタリング専業となる。マスターテープからのデジタルコピ-でしかなかったマスタリングを、CDメディアに最適化するための過程において、長年に渡るカッティングエンジニアとしての経験を基礎とし、独自の音響理論からその方法論を深化させていく。
 
1990年、山下達郎氏との出会いから、同氏、ならびに竹内まりや作品のマスタリングを手がけるようになり、マスタリングに対する独自の方法論やアプローチが高く評価される。現在まで山下作品を独自のマスタリングで支えている。

アル・ジャロウ「JARREAU」
(当時のスイングジャーナル記事)

スタジオの様子

カッティングコンソールと共に
カッティングマシンは世界で1台のSONY製です。1989年、カッティング終了の記念に撮りました。カッティングコンソールはSONY製で、EQもSONYオリジナルです。他にSONTEC
社製とノイマン社EQ、API社EQも使いました。
私が使っていましたカッティングルームは3階302号室です。 部屋の作りは2階スタジオのコントルームと全く同じ大きさの作りです。 最初は4チャンネル仕様で後ろにウエストレイクのスピーカーが ありました。写真のスピーカーはTADで40cmのダブルウーハーです。 後にスーパーツィータを付けました。 部屋の大きさ、作り、設備共にアジアはもちろん世界のトップクラスのマスタリングスタジオです。
CDマスタリングの時代へ

1989年1月末、CD製作への一本化のためカッティングマシンを撤去、カッティングルームからCDマスタリングルームへと変わりました。

  • 写真上
    • CDマスタリング専用となった部屋
  • 写真右
    • カッティングマシンが部屋から搬出される様子

ディスクラボ/ON AIR

株式会社ミキサーズラボ代表内沼映二氏が1994年、CDマスタリングセクション「DISC LAB」をON AIR麻布スタジオ(現Azabu O Studio)内に設立の折、同スタジオに招聘。1993年12月、ON AIR麻布スタジオに移籍し「Harada's Room」を構える。
 
マスタリングルームのレイアウトや内装デザイン、スピーカーのセッティングなど細かな面で独創的なアイデアが随所に活かされたこの「Harada's Room」で、モニタリング環境の追求を加えたトータルでのマスタリング手法を独自に確立する。

スタジオの様子

ON AIR麻布スタジオの施工にあたっては、色々と私の希望を取り入れてくれまして、ほぼ理想の部屋(音の反射が少なく、音洩れも無い、暗騒音も非常に静かな環境)が実現しました。
 
モニタースピーカーはGENELEC 1034A。30cmのダブルウーハーですが、スピーカーを載せる台にセメントを入れて補強してくれまして、予想以上にレスポンスの良い低音が気持ちよく出ました。

ビクターマスタリングセンター

2004年よりビクタークリエイティブ・マスタリングセンターに所属。ディスクラボ/ON AIR「Harada's Room」で培ったサウンドフィロソフィをより発展させるとともに、メディアの変化にも柔軟に対応し、幅広い作品を手がける。

スタジオの様子

ON AIRの時には、コントロールモニターアンプをパーツから使い方に注文を付けて作りましたので、非常に音の抜けがよく、解像度の高い音になりました。
 
ビクターマスタリングセンターで使用するコンソールのコントロールモニターアンプも、ON AIRでの経験から希望を取り入れてもらい作りましたので、解像力のよい音になっています。

ビクタークリエイティブメディア

2010年11月、ビクタークリエイティブメディア株式会社の代官山スタジオ内にHARADA'S ROOMが移転。

スタジオの様子

代官山のスタジオでは、ビクターマスタリングセンターにて構築したマスタリング/モニター環境をベースとし、特にマスター音源のプレイバック環境を見直しています。
 
マスターとして持ち込まれるデータはProTools環境にてプレイバックを行っていましたが、これまでProToolsはソフトウェア/ハードウェアが一体の環境のため、多くの制約がありました。バージョン9からハードウェアの制限が無くなり、音質的により有利な機材が選択できるようになりました。
 
大型であったシステムはルームアコースティックにも影響もありましたが、サードパーティーのオーディオインターフェースとiMacを組み合わせることで、レイアウトの自由度が高まり、より良いモニター環境を実現できるようになりました。

バーディハウス/ABS RECORDING

2014年4月、株式会社バーディハウスへ移籍。
スタジオ環境が変わった現在でも、多くのミュージシャンや音楽関係者から絶大な信頼を得ている「原田マスタリング」、常連のベテランミュージシャンを筆頭に若手ミュージシャンまでがスタジオへ訪れ、「グルーヴ感のある音」を生み出している。

スタジオの様子